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武者小路実篤の名言

武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、旧字体: 武者小路 實篤、1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。 姓の武者小路は本来「むしゃのこうじ」と読むが、実篤は「むしゃこうじ」に読み方を変更した。しかし、一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと糺すことはなかったという。 仲間からは「武者」(ムシャ)の愛称で呼ばれた。文化勲章受章。名誉都民。日本芸術院会員。贈従三位(没時叙位)。
この道より
我を生かす道なし
この道を歩く

まあいゝ/
俺の一生を何かの役にたてて見せる/
ころぶ時があつても
本当にころがつた者は起き上がる時は何か得をしてゐる。
笑はれるのを恐れるよりは心にないことを云ふのを恐れなければいけない。
さあ、俺も立ち上がるかな/
まあ、もう少し坐つてゐよう
自分の一生を平和にする為には心を静かにすることが必要だ。
恋はあつかましくなければ出来ないものだよ。本当の恋はあつかましいものには出来ない。
馬鹿なものは独身の間は結婚した時のよろこびを空想し、結婚すると独身の時のよろこびを空想する。
青年のくせにぐうたらだったり、怠けることを考えたり、快楽に溺れて平気でいたりする者は、理想を持たない、現実の敗北者である。
自分の仕事は、自分の一生を充実させるためにある。
この世の中には色々の不幸がある。しかしその不幸からよきものを生み出そうとし、また生み出し得るものは賢い人である。
自分を信じて行かなければいけない。教わるものは遠慮なく教わるがいいが、自分の頭と眼だけは自分のものにしておかなければいけない。
尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。
自分の力に合うことだけしろ、その他の事は、おのずと道が開けてくるまで待て。
すぐれた人間は、いざという時が来ないでも、いつも全力を出して仕事をしている。
他人に要求することを、先ず自分に要求せよ。
君は君。我は我也。されど仲よき
自分でも何かのお役に立つのだ。このことは喜びである。この喜びは自分の一生が、無意味でないことを示している。このことを幸福に感じるのである。
自然、必然、当然。三つのものの、合一する道を歩く確かさ。
いかなる時にも自分は思う。もう一歩。今が一番大事な時だ。もう一歩
他人がどうであろうと自分さえ、ちゃんとしていればいい。するだけのことをすればいい。
人生は楽ではない。そこが面白いとしておく。
僕が信用する人はどんな時でも、本音のあり場所を示す人だ。本当のことがわからない時は、わからないとはっきり言える人だ。
結婚するものも幸せだし、しないものも幸せだ。どっちにも人間としての喜びがある。
色と言うものはお互いに助けあって美しくなるものだよ。人間と同じことだよ。どっちの色を殺しても駄目だよ。どの色も生かさなければ。
才能で負けるのはまだ言い訳が立つ、しかし誠実さや、勉強、熱心、精神力で負けるのは人間として恥のように思う。他では負けても、せめて誠実さと、精神力では負けたくないと思う。
心の美しい者は、皆に愛されるのは事実である。そして恐らく運命にも愛されるであろう。
僕は運命を信じないのです。ただ実力を磨くことだけを信用しているのですよ。
この道より我を生かす道はなし、この道を行く。
私は一個の人間でありたい。誰にも利用されない。誰にも頭を下げない。一個の人間でありたい。他人を利用したり。他人をいびつにしたりしない。そのかはり自分もいびつにされない。一個の人間でありたい
まかぬ種子は生えぬと言うが、我等は不幸の種子をまかず、幸福の種子をまくように注意すべきである。

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