歴史

土方歳三の名言

土方 歳三(ひじかた としぞう、天保6年5月5日〈1835年5月31日〉- 明治2年5月11日〈1869年6月20日〉)は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。 諱は義豊(よしとよ)、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、現代では鬼の副長の通称が有名である。戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年5月11日(1869年6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。
梅の花 壱輪咲いても 梅は梅

たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちるとも 魂は東(あずま)の 君をまもらむ
よいか、人を斬る剣は所詮は度胸である。剣技はつまるところ、面の斬撃と、突き以外にない。習い覚えた区々たる剣技の末梢を忘れることだ
未来だけは、いやにはっきりとした姿で、私の眼の前にある
目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである
我、将来武人となりて、名を天下に挙げん
昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい
喧嘩ってのは、おっぱじめるとき、すでに我が命ァない、と思うことだ。死んだと思いこむことだ。そうすれば勝つ
鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照かと
勝てるか勝てないか、やってみなければわからないよ。おらァもう、勝敗は考えない。ただ命のある限り戦う。どうやらおれのおもしろい生涯が、やっと幕をあけたようだ
皆、自分の道をゆこう
世に生き飽きた者だけ、ついて来い
我が兵は限り有るも、官軍は限りなし。一旦の勝ち有りと雖(いえど)も、その終には必ず敗れんこと、鄙夫(ひふ)すらこれを知れり。然るに吾れ任ぜられて、若し敗れるようなことあれば則ち武夫の恥なり。身を以てこれに殉ずるのみ
ふりなからきゆる雪あり上巳こそ
こちらは有限、敵は無限。必ず負けるが「無様」には負けぬ
未来だけは、いやにはっきりとした姿で、私の眼の前にある。
男の一生は、美しさを創る為のものだ。俺はそう信じている
一日過ぎると、その一日を忘れるようにしている。過去はもう私にとって何の意味もない
知れば迷ひ、知らねば迷はぬ、恋の道
我この柵にありて、退く者を斬る!

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