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大久保利通の名言

大久保 利通(おおくぼ としみち、文政13年8月10日〈1830年9月26日〉- 明治11年〈1878年〉5月14日)は、日本の政治家、武士(旧薩摩藩士)。幼名は正袈裟、通称は正助、一蔵、諱は利済、のち利通、号は甲東。位階・勲等は贈従一位勲一等。 明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称され、「維新の十傑」の1人でもある。初代内務卿で、内閣制度発足前の日本国政府(太政官)の実質的・事実上の首相。
為政清明

国家創業の折には、難事は常に起こるものである。
自分ひとりでも国家を維持するほどの器がなければ、つらさや苦しみを耐え忍んで、志を成すことなど、できはしない。
君達は小娘ごときの為に、この国をないがしろにするつもりか?
おはん(西郷隆盛)の死と共に、新しか日本がうまれる。強か日本が
後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ
今日のままにして瓦解せんよりは、むしろ大英断に出て、瓦解いたしたらんにしかず
政治も戦争も正当な根拠なしに行って成功することはない。
彼は彼、我は我でいこうよ
最善を得ざれば次善、次善を得ざれば、その次善と、できる程度において、出来うる事をなす
外国勢力と戦おうとする方法はただ筆と墨を用いるにある。武器を用いてやるのではない。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ
やりすぎるのはやり足りぬより悪い。
この難を逃げ候こと本懐にあらず
非義の勅命は勅命にあらず
内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい
自分ほど西郷隆盛を知っている者はいない
ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
空論に馳せ新奇を好むべからず。
堅忍不抜
失敗に落胆しなさるな、失敗に打ち勝たなければならぬ、度々失敗するとそれで此大切なる経験を得る。其経験に依って以て成功をきさなければならぬのである
聖人の言といえども時勢によっては全部応用することはできない、時勢に応じて活用しなければならぬ。

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