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大島康徳の名言

大島 康徳(おおしま やすのり、1950年〈昭和25年〉10月16日 - 2021年〈令和3年〉6月30日)は、日本のプロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球監督、野球解説者。 現役時代は中日ドラゴンズ(1969年 - 1987年在籍)で強打者として活躍し、1974年・1982年にはそれぞれチームのセントラル・リーグ(セ・リーグ)優勝に貢献。また、1983年には本塁打王のタイトルを獲得、現役生活の終盤となる1988年に日本ハムファイターズへトレードで移籍すると、1990年には通算2000安打を達成。プロ入り26年目の1994年に44歳で現役を引退し、2000年 - 2002年には日本ハムの監督を務めている。
退院したら、家でお揃いで着て寝よう

やっぱり家はいい。一番リラックスできる場所は、やっぱりここだ
「今まで通りに仕事をして、今まで通りの生活ができればいい」というのが肝心
気持ちが大事。気持ちを切らさず、頑張りすぎずに頑張ります。
野球の放送音を聞くと安心します。
そういう記録とは別の次元で、同業の他選手が認める選手こそがスターなんです。大谷選手は間違いなくスーパースター。
決断の裏側にはそれまで生きてきた、その人の人生があり、背負ってきたもの・背負っているものがあり、一言で語れるほど単純なものではない
人として生きるとは、自分の口から食べたり飲んだりすること。自分の足で歩いて、トイレに行くこと
命には必ず終わりがある。自分にもいつかその時は訪れる。その時が俺の寿命。それが俺に与えられた運命
自分は以前と変わらず仕事ができる。そのためには、私の体調面であるとか治療について正しく理解してもらう必要がある。でも、その内容を仕事関連で出会う方たち一人一人に説明していくのは限界がありますからね。だから公表したんです
過剰に何かを求めることもなく、見栄を張ることもなく、今まで通りの普通の生活を守っていきたい
捕手を迷わせたら勝ちだからね
健康は善であり、病気は悪である。社会にはびこる、その負のイメージを変えたい。
楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。これ以上何を望む?もう何もないよ。幸せな人生だった
高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし、この年になるまで野球一筋。野球人として生きることができた。
一日でも早く家に帰りたい!
患者は癌とだけ闘うべきなのに、それ以外のことにも気を配らなければならなくなってしまっている
皆、それぞれあるがままの自分で自分らしく泣いたり笑ったりしながら自分の人生を生き抜いて欲しい。出来ることなら、楽しくね。
コロナのバカヤロー!家族に会いたいです。顔が見たいです。
監督は目立たなくていい。俺は、選手一人一人を輝かせてあげられるそういう監督でありたい
波のように厳しく優しく

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