武将 歴史

黒田孝高の名言

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体: 黑田 孝高)は、播磨国の姫路生まれで戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・軍師。キリシタン大名でもあった(洗礼名はドン・シメオン)。戦国の三英傑に重用され、筑前国福岡藩祖となる。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)(隠居名であるが)としても広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。
我が君主は天にあり

障害に遭いて激し、その勢力を百倍にするは水なり
まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ自ら活動して他を動かすは水なり
おまえは時々、部下を夏の火鉢やひでりの雨傘にしている。改めよ
上司の弱点を指摘するな
が、大切なのは不相口であって、相口の者ばかりまわりに集めたのでは、決してその者にとっていいことではない。不相口の者が言う異見に耳を傾けるべきだ。
金銀を用いるべき事に用いなければ、石瓦と同じである
その人の本質はそのまま残し変化に対応するには、常に柔軟でなければいけない
戦いは考え過ぎては勝機を逸する。たとえ草履と下駄とをちぐはぐに履いてでもすぐに駆け出すほどの決断。それが大切だ
槍・太刀・弓馬の諸芸を自から行なうのを、身分の低い者の仕事であるとして、自分で一度も行なわなかったならば、家来たちの武芸も進歩することがないだろう
私一人の注意では、多くの家来たちに届くまいから、見逃すことも多いだろう。よくないことがあったなら、遠慮なく知らせて欲しい
四角な器にも円い器にも水は器に応じて入る
思いおく言の葉なくて、ついに行く、道は迷はじなるにまかせて
天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり
気が合う家来、合わない家来とでは、仕置の上にもこのような私心ができてくるものであるから、みな、よく注意せねばならぬ
自ら潔うして、他の汚濁を洗い、しかも清濁併せ容るるは水なり
人間には必ず相口、不相口というのがある。相口というのは、他人の心をよく知ってそれに合わせる事だ。不相口というのは、逆らって異見を言う者をいう。
その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い
常日頃好むところでも、よくこれを選び慎むことが大切である。主人の好むところは、家来や百姓町人も、自然とその真似をするものであるから、とくに注意せねばならぬ
人に媚びず、富貴を望まず
その時、お前の左手は何をしていたのだ?
最後の勝ちを得るにはどうしたらいいかを考えよ

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