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津田梅子の名言

津田 梅子(つだ うめこ、旧暦 元治元年12月3日〈新暦 1864年12月31日〉- 1929年〈昭和4年〉8月16日)は、日本の女子教育家。日本初の女子留学生の一人で、女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者であり、日本における女子教育の先駆者と評価される。また、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性である。聖公会の信徒。 初名はうめ(「むめ」と書いた)。戸籍上は梅であったが、1902年(明治35年)に父である津田仙の戸籍から分籍した際に梅子に改めた。
先生は教えることの十倍は知っていなければ

何事によらず、あまり目立たないように、出過ぎないように、いつもしとやかで、謙遜で、慇懃でいたい
環境より学ぶ意志があればいい。
秀才だけがよい先生になれるのではありません。信仰と愛と忍耐とがよい先生をつくるのですよ。
一人一人の人生の航路には独りで立ち向かわなければならない、それぞれの困難と問題があります。
頭が悪いからといって卑下する必要はちっともない
文化、教育、経験がなくては、理想的な妻や母にはなり得ない
高い志と熱意を持ち、少数だけでなく、より多くの人々との共感を持てれば、どんなに弱い者でも事を成し遂げることができるでしょう。
男性と協力して対等に力を発揮できる自立した女性の育成
人生の導き手である良い書物は、その書物のなかで語る偉人たちの言葉は、求めさえすれば皆さんのものとなることでしょう
皆さんのひとりひとりが『光を見る目、永遠の真理を知る洞察力、憐れみともっとも優しい慈悲に満ちた心、闇を照らす信仰』をもちますように。
真の教育には、物質上の設備以上に教師の資格と熱心と、学生の研究心が大切である
この学校に限らず、他のどの学校においても、学校だけで皆さんの行く手にあるものに対処できる力を完全につけてあげることはできません。
私たちは、あらゆる面において、皆さんを助ける努力をして参りました。しかし将来は皆さんの手中にあり、皆さんは実際の体験における試練と教訓を待たなければなりません。
東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ、地位の低い者は召使いにすぎない。
私が死ぬことによって、日本の娘たちを向上させることができるのなら、死んでも良い
先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をするのであれ、高尚な生活を送るように努力してください。古い時代の狭量さ、偏屈さを皆さんから追い払い、新しいことを求めつつ、過去の日本女性が伝統として伝えてきたすぐれたものはすべて保つ努力をしてください。
(最後の言葉)Storm last night
真理は、見ることを拒まなければ、私たちの誰の魂の中にも明りを灯すでしょう。その明りは、私たちの浅薄な才能、卑しい意地悪、利己心、虚栄や嫉妬などを照らし出し、他人のなかにある良さを見せてくれます。
まかれた種は、豊かに実りをつけねばならないことを心得てください
何かを始めることはやさしいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい。

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