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道下美里の名言

道下 美里(みちした みさと、1977年1月19日 - )は、日本の陸上競技選手(女子マラソン、ブラインドマラソン)。山口県下関市出身。既婚者、旧姓は中野。福岡県太宰府市在住。 2016年リオデジャネイロパラリンピック 陸上 女子マラソンT12 銀メダリスト、2021年開催の東京パラリンピック 陸上 女子マラソンT12 金メダリスト。
自分に素直になれたことで人間関係に悩むことも徐々になくなった

伴走の方のサポートで最高の力を発揮できました。頭の中にコースの図面を描いて方向を確認していたので、初めて走るようなコースには思えず、不安も全くありませんでした
共に走る伴走者と、それを支える仲間。最強のチーム力を武器に世界に挑みます
伴走者を信じているので怖さはありません。日常生活でも一緒にいる時間が長いので、阿吽の呼吸というのでしょうか。支え合う側面が強い競技なので、伴走者たちと「最強のチーム」を作ったランナーが勝つとも言えると思います
イラストレーターは芸術家ではなくてお客さんを喜ばせる芸人
すごい苦しかったこととか、みんなからかけてもらった言葉とか、思い出しながら、絶対、絶対、いけるっていう想いにつながるような、思い出せるような要素、プラスになりそうな要素を頭からどんどん引き出していっていましたね
チャレンジ精神旺盛な仲間たちに刺激され、スキューバダイビングなど新しいことにも挑戦しました。あれもできない、これもできないと失うことばかりだった青春時代を過ごしてきただけに、盲学校に入ってからの3年間は、何かを取り戻そうと必死だった自分がいた
耐えるもの必ず志を得る
リオパラまでに練習や試合で伴走してくれた「チーム道下」は100人を超えていました。今は今日同席してくれている河口恵さんを含めて、12人のスタッフと練習していて、1日に60kmほど走りこむこともあります
私ももちろん金メダルです。銀じゃだめ。
このレースで勝たなきゃ東京じゃ勝てないって思って臨んで、この結果は最高の結果です
完全に光を失ったわけではありませんが、一人で外出することもままなりません。未来に希望を描くこともできず、自分が生きている意味を一人自問自答する日が続きました
26歳でマラソンを始めました。風を切って走る感覚が気持ちよくて夢中になり、リオでパラリンピックに初出場、銀メダルをとることができました
できることがどんどんなくなっていって、日々に喜びを見出せなかったので。だから、そんな私が家族のだったり、社会のお荷物なんじゃないかと思っていました
金メダルが取れなくて悔しさも残りますが、銀メダルが今の私にとっては最高のメダルだと思います
どんな逆境に遭っても、投げ出さずに耐え忍べば、必ずその先に光が見えてくる
最高ですね。みんなが42.195キロずっとついてくれてて、ずっと背中を押されながら走りました。絶対いける。みんながついているから絶対いけるって
私はレース前はプレッシャーはほとんど感じないタイプなんです。でも2回目の大舞台では、リオでピリピリしてしまった反省を踏まえ、チーム全体で落ち着きを保って最高の結果を出したいです。
どんどん進化している自分がいるから、挑戦をやめられないんだと思います
みんなが「世界記録を出せる」って応援してくださっている。その中で結果を出すっていうことを、すごく…なかなかこの一年、ずっとそのトンネルを抜け出せずにい
純粋に走ることが幸せだなと思って走っているので。日常の些細な人からの声掛けも含めて、障がいがあることによって得られる幸せを、常に感じています。そういう喜びや、人に支えてもらっている幸せという気持ちが多分、笑顔になっているのかな

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