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岡倉天心の名言

岡倉 天心(おかくら てんしん、1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉 覚三(かくぞう)。幼名は岡倉 角蔵。
どんな木も、もともとその種に含まれた力以上に大きくなることはできない。生きるということは常に自分自身に立ち戻るということなのだ。

内からの勝利か、さもなくば外からの圧倒的な死か。
歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。
自己の内側の大いなるものの小ささを感ずる事ができぬものは、他人の内側の小さなものの大いさを見逃しやすいものだ。
芸術が個人の心の表現でなければ、それは無である。
本当に重要なのは完成そのものではなく、完成することだ。
本当の美しさは、不完全を心の中で完成させた人だけが見出すことができる。
永遠とは、物質ではなく、精神にしか見出すことのできないものであって、こうした簡素な建物はその精神のあらわれなのであり、そうであればこそ、洗練をきわめたほのかな輝きを帯びて、かくも美しいのだ
芸術は、その時代の暮らしにぴったりとしたものであって初めて本当に理解されるものなのだ。けっして後世の評価を無視してよいというわけではないが、それよりまず現在を十分に楽しまねばならない。
古いものが解体されて初めて、再創造は可能となる。
宗教は未来を後ろ盾としているが、芸術では現在こそが永遠なのである。
絵に良い絵と悪い絵があるように茶にも良い茶と悪い茶があるのだ。しかし、完璧な茶をたてる唯一これだけというやり方があるわけではない
美しいものとともに生きてきた人だけが美しく死ぬことができる。
どの時代をとってみても、芸術が最終的に完成した型としてあらわれるというようなことはない。芸術とは絶えざる成長であり、年代ごとに区分できるようなものではないのだ。
花は人間のように臆病ではない。花によっては死を誇りとするものもある。日本の桜がそうで、彼らはいさぎよく風に身を任せるのである。
日々の暮らしぶり、そのなにげない仕草のうちに、内心の動きはあらわれる。
面白いのは行為そのものではなくて、その行為にいたる経過だ。
強力な思想というものは同時代の思想を論破するとともに、これに続く時代の動きを支配するものだ。
変化こそ唯一の永遠である。
自己中心的な虚栄というものは、芸術家、鑑賞者いずれの側であっても、共感を育むうえで致命的な障害となるのである。
教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものにほかならない。人は真に徳のある人間として教育されるのではなく、ただ、きまりに外れないよう振る舞うことを教えられるだけなのである。

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