井上靖の名言

どんな幸運な人間でも、一度は死にたい程悲しくて辛いことがある。

人間というものは、生きているということに多少の意義がないと、生きて行けないものですよ。
若い人たちはもっと積極的に一期一会の精神を、日々の生活の中に生かすべきである。
人間の苦しみの中で、猜疑心という奴が一番苦しいものかな。火刑よりも磔よりも苦しいかもしれないな。
年齢というものには元来意味はない。若い生活をしている者は若いし、老いた生活をしているものは老いている。
努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。
若い人たちはもっと積極的に一期一会の精神を、日々の生活の中に生かすべきである。
大体、人間というヤツは、年齢をとるとロマンティックになるよ。若い者はロマンティックだなんて笑うが、あれは本当は嘘だ。若い時は、驚くほど現実的だよ。
一生の仕事が無駄になった人が世の中にはたくさんいる。私たちの今日の文化は、そういう“尊い犠牲”の上に成り立っている。
本当のことを平気で言える相手もなかったとしたら、お前はこれまでの長い一生を、何のために生きて来たか判らないことになる。
人間は自分が価値があると信じた仕事に全力を挙げて没入すべきであり、ただそうすることだけに価値があるのかもしれない
友情というものは、お互いに相手に対する尊敬と親愛の念の絶えざる持続がなければならぬものである。
人間何をしてもいいが、あまり自分を不幸にしてはいけない
本当のことを言うことで、本当のことを言う相手を持つことで、お前はこの世に生きて来たことを肯定しようとしている。自分の人生に意義を見出そうとしている。
一体、自分はこれまで何をしていただろう
これから何年、何十年生きても、おそらく人生というものなど解りっこないに違いない。ただ、そうした解らない人生というものの終局点に立ったとき、人生を肯定する立場に立っていたい
人間のやることに結末などはつけられないのだ。いつだって、中途半端なのだ。しかし、それでいいではないか。そもそも結末をつけようというのが、おこがましい限りだ。
仕事や努力が適正に評価され報われるというようなことは、その人その人の持つ運であって、世の中にはりっぱな仕事をしても報われない人は沢山いるはずである。人間の生き方というものは、おそらくそうしたこととは全く無関係なものであろう。
人間というものは、自分が恩恵を受けたたくさんのことを、それを思い出そうとしないと思い出さないものである。
人生がたった一年しか残されていないんなら、おれは本当に妥協なく生きてみたい。
どうやら幸福というものはひどく平凡なことの中にある。静かな眼、おだやかな心、健やかな体、平穏な日々そうした状態以外の何ものでもないらしい。
幸福は求めない方がいい。求めない眼に、求めない心に、求めない体に、求めない日々に、人間の幸福はあるようだ。
万事、焦ることはない、ゆっくりやればいつか事は成る
本当に会いたい人に会いたい。本当に話したい人と話したい。本当にやりたいことをやりたい。本当に行きたいと思うところへ行きたい。本当に見たいと思うものを見たい。
女は好きな人と結婚しなけりゃだめよ。好きな人だったら、その人のために、どんな苦労したって、後悔しないと思うの。お金も、地位も何も要らない。大切なのはその人が好きだってことね
愛が信じられないなら、愛なしで生きてごらん。世の中が信じられないなら、世の中を信じないで生きてごらん。人間が信じられないなら、人間を信じないで生きてごらん。生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ
何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方の中で、一番いいようだ。
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